明日の朝までうたっていたい♪(2002年7月21日〜7月27日)

フェスタ・アルモニカ・イン赤穂 5時起き 著作権申請 明日に備えて りくべつに出発 りくべつの様子 プログラム原稿第0版



フェスタ・アルモニカ・イン赤穂(2002年7月21日)

今日はLa・Lu・Laのステージ。 一緒に歌いたいという下の子を何とか納得させて、 聞き役として待っているようにする。 本当にいっしょに歌えるのはいつになるんだろうね。 その時期になったときに「嫌だ」と言われないようにしなくては。 そのためには、早めにいっしょに歌うのも手か(^_^;)。

さて、はもーるでも合唱祭で歌った曲だが、 La・Lu・Laではステージに乗せるのは初めてである。 2度の練習で本番というのは、なかなかスリリングに違いない。 今日は男声のパートバランスが悪く、上から1・3・2・1である。 低音が弱そうだというので、それぞれ二つに分かれる部分は、 私がバリトンを歌うことにした。 こうすると、1・2・1・3となって良くなるはずだ。 私がきちんと歌えればという前提だが。

ステージを使っての練習もないではないが、 本番前の練習としては不足している。 覚悟を決めて炎天下での練習を敢行する。 指揮のK氏は日陰にも入れず、全身汗だくの練習となった。 それを見ているこちらがいたわしいほどの指揮ぶりであったが、 本番前の集中力の賜物か、ぐっと濃縮された練習により曲が仕上がってゆく。 1時間弱で練習を終え、出番を待つ身となった。

13時に開演し、何団体か演奏を聞くが、 そのレベルはともかく赤穂の合唱に対する裾野の拡がりに驚く。 赤松先生亡き後の赤穂高校の低迷には心を痛めるが、 部員一人一人のレベルの高さは、やはり赤穂だなと思わせるものを感じた。

La・Lu・Laの演奏についても書いておかねば。 ハーモニーホールは音響が良いだけではなくて、歌い手にもやさしいホールである。 他のパートの音も良く聞こえ、 La・Lu・Laのような少人数のアンサンブルにはぴったりのホールである。 気持ちよく歌え、それなりの出来ではなかったろうか。 聞いた人の評判も良かったような話を聞いた。

赤穂のとあるところにて反省会というなのお食事会。 ビールが飲めないのが残念。

5時起き(2002年7月22日)

月曜朝一の打ち合わせの資料を作るために5時起きである。 夕べは速攻で眠ってしまったのだ。 予定通りに起床して、1時間強で資料をまとめたのだ。

そこまではいいとして、さすがに午後になると思いっきり眠くなった。 普段より2時間近く早起きをしているのだから、 体内時計がかなり進んでいるのである。 早起きは三文の得というが、 早寝ができるならば良いとしても、この業界ではつらいかも。

早く帰るぞと決意していたものの、それなりに時間となってしまったなあ。 うう、早く帰るぞ。

著作権申請(2002年7月23日)

コンサートプログラム印刷のリミットが迫ってきた。 そろそろしておかなくてはと、申請書類を作成する。 明日送れば、今月中に許諾番号が得られるだろうか。

8月になれば、演奏方面の申請もする必要がある。 まずは第一段階突破だ。

明日に備えて(2002年7月24日)

上の娘は、明日からほぼ一週間旅に出かける。 6時には家を出ないといけないので、早めに帰宅する。 旅の荷物のほうは準備万端のようで、明日は荷物を持って集合場所まで行けば、 現地まで送り届けてくれることになっている。

旅というのは、二月ほど前に日記にも書いた サマーinりくべつのことである。 何となく乗り気でないような娘であるが、 どうなのだろうか。 本人以上に不安な親の私である。

りくべつに出発(2002年7月25日)

5時に起きて、いよいよ陸別に出発である。 夕べは早く寝たとはいえ、5時おきは眠たい。 娘も同様にのんびりとした動作をしている。

6時には家を出て、駅まで自転車で向かった。 大きい荷物を持った娘は荷台に乗せて…。 予定通りの電車に乗って三宮まで移動する。 7時過ぎに空港行きのバスにて関西空港に向かう。 三宮より先は組合の人が送ってくれるのだ。 ちょっと不安そうな顔の娘を託して、 会社へと向かったのであった。

昼過ぎにメールにて「無事に現地に着いた」との報せがある。 まずは一安心である。 帰ってくるのは30日。 成長して帰ってくるか、金輪際行きたくないと帰ってくるか、 不安半分の親なのであった。

りくべつの様子(2002年7月26日)

りくべつの様子は、リアルタイムとは行かないまでもwebで見られるのであった。 陸別町のスタッフの方が、 陸別町公式ページにて最新情報を随時アップロードしてくれるのである。 遠くにいても、元気でやっている様子が手に取るようにわかるのは、 ITの賜物である。 現地に到着した画像の中に娘の姿を発見して、 嬉しがる私は親馬鹿である。

妻にもメールを入れておいたが、家でもwebをチェックしていた様子。 今日の分も映っていると、メールの返信がきた。 夫婦そろって親馬鹿なのであった。

プログラム原稿第0版(2002年7月27日)

一通りプログラム原稿を入力して、 中身も一応チェックして、 メンバーに第0版として公開したのであった。 作り手では、思い込みがあって見つけられないような間違いも、 何人かでチェックすることで発見できるのだ。

来週には一通りのチェックを完了して、 お盆休み前には版下を渡さねばならない。 ぎりぎりのスケジュールではあるが、間に合うかな。 毎回綱渡りのプログラム作りである。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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