明日の朝までうたっていたい♪(2004年2月8日〜2月14日)

インフルエンザ二人目 ジェフリー・アーチャー インフルエンザ3人目 JR西日本の対応 風邪にかかったか 身の周りで事件が起こると バレンタインデイ



インフルエンザ二人目(2004年2月8日)

しんどいと言って部屋で寝ていた上の娘。 昨日遅くまで起きていたからだと思っていたら、 夕方になって熱が出ているということに気づいた。 下の子の風邪がうつったに違いない。 どうして子供は夜や休日に発病するんでしょう。

新聞にのっている当番医を見ると、休日・夜間診療センターが今日の担当である。 時間は21時から24時。 4時間くらい待たなければならない。 今すぐ受診できれば良いのに…。

20時半過ぎに診察センターに行って驚いた。 すでに受付は開始しているのである。 さらに、休日ならば昼は18時まで診察しているのだった。 知っていれば、夕方すぐに行ったのに…。

どうやら。診察センターは国立明石病院のあとに明石医師会で設立され、 当番医制度から移行したらしい。 切り替わりが昨年の夏だったらしいから気がつかなたっかのだ。 事情がわかったので、今後は休日に何かあればここに来ればよいのだな。 ひとつかしこくなった。

ジェフリー・アーチャー(2004年2月9日)

学生時代に付き合っていたコに紹介されて読んだのがアーチャーとの出会いだろうか。 ストーリーがよくできているというのもあるが、 永井さんの翻訳が魅力をさらに引き出していると感じたのを覚えている。 その後、彼の作品をひととおり読破し、次の作品が出てくるのを心待ちにしていたのだ。

テンポよい物語の展開にひきつけられ、いつもの通り、一気に読んでしまった。 またこれでしばらくは彼の作品が読めないことになる。 まあ、あんまりしょっちゅう出版されるのも追いかけるのが大変だから、 次を待ちながら別の作家の作品を楽しみましょうか。

インフルエンザ3人目(2004年2月10日)

携帯電話にメールが入った。 妻が熱があるという。 どうやら我が家でのインフルエンザ3人目発生である。 二日おきに発生しているということは、今週末には私に押し寄せてくるのか?

早く帰宅して家事をする予定だったが、明日の出張準備でそれもままならず。 21時にようやくたどり着いたのだった。 上の娘が工夫して夕食はつくっていた。 その機会を与えれば、それなりにできるものではある。 そういう意味では、親がたまに病気になるのは悪いことではない(?)。

JR西日本の対応(2004年2月11日)

思っていたよりも早めに出張先の仕事が片付く。 妻が風邪なので、そのまま帰宅してしまおう。 西明石駅には順調に到着。 定時退社日同等の帰宅タイムになる予定だったのだが…

西明石到着の車内アナウンスで、在来線の事故の知らせもあわせて行っていた。 「駅のアナウンスを良くきいて」ということなので、 ホームでの放送に耳を傾ける。 案内板によると1時間くらいの遅れが予想されるとのこと。 特別の案内がなければ、1時間待つよりもタクシーを使おうと心に決めていたのだ。

ホームに立ってすぐに、新快速が普通電車として運行すること、15分から20分で到着することの放送があった。 20分程度なら待っても良いか。 普通ならばそう判断してもおかしくない状況である。 帰宅が19時から19時20分になっても大差がない。 しかし、この判断が間違っていたのだった。

快速電車が須磨に到着したこと、快速よりも新快速のほうが先に着く。 この放送があったのは、予定時間の10分前くらいだったか。 もうすぐ来るのだと確信する。 が、予定の時間になっても来る気配がない。 おまけに到着時間については「連絡があり次第伝える」と放送のニュアンスが変わってきていた。 ここで決意していれば、このあとの悲劇は起こらなかった。

でも普通、ここまでに展開ならば、新快速は数分でやってくる。 快速はあと20分くらいかかる。 こう判断してもおかしくない状況なのだ。 実際には、待てども待てども電車は来ない。 既に40分が経過している。 この時点で、最初の判断が間違っていることに気がついていたが、 タクシーに切り替えるにも切り替えられない状態になってしまっていた。 それが人間の心理というものである。

ふと気がつくと、あとに到着するはずの快速が先に到着しているではないか。 70分が経過していた。 この時点でも新快速が先に発車すると信じていた。 つまり、もうすぐ来るはずなのだ。

ここで信じられないアナウンスが流された。 「予定を変更して快速がまもなく発車します」

私も含めて、そこで電車を待っていたみんなは唖然としたに違いない。 「申し訳ありません」ではすまない問題である。 持って行きようのない怒りをどのようにすればよいというのだ。 そこに駅員がいたならば、怒鳴りつけていたに違いない。

20分後に来るはずの新快速がやってきたのは、 最初の放送があってから90分後のことであった。 あきれてものが言えまへん。

風邪にかかったか(2004年2月12日)

朝起きたら、のどが痛い。 ついに私にもウイルスはやっていたか。 感覚的には熱もなさそうなので、出勤することにする。 体調が悪くなったら、その時点で帰宅しよう。

夕方になって、体調は悪くなってきている気がする。 念のために体温を測ると、36度4分。熱はない。 たんなる気分の問題だろうか。

寝込むと来週が乗り切れないので、いつもよりは早く帰宅する。 熱は出ないから、インフルエンザではなさそうだ。 残念(?!)だなあ。

身の周りで事件が起こると(2004年2月13日)

妻に話を聞いて知ったのだが、自宅近くのラーメン店で殺人事件があり、 ワイドショーでも映像が全国に流されたらしい。 店の売り上げがなくなっており、刃物による反抗とのこと、 最初から強盗を目的に押し入ったと思われる。 こういうふうに身近な事件があると、 日本の安全神話はとっくに崩れていると感じる。 警察の検挙率もかなり下がっているらしいが、 犯罪を起こすきっかけというか、心理的な壁が非常に薄くなっているのではないだろうか。

生活はどんどん便利になり、さしたる努力をしなくても食べることに困らない。 子供の数も減って、ちやほやと育てられる環境となっている。 さらには、TVゲームなど、溢れんばかりに与えられるおもちゃの数々。 このような状況では、特に工夫をしなくても遊べるし、よその子供と関わる必要もないのであろう。 何もなかった時代には、とにかく野山を駆け回って、工夫をしながら遊んだものだ。 子供としても遊びの中から社会性を学んでいったように思う。

便利で豊かな世の中になって、本当に良かったとは思うが、 大切な何かを置き去りにしてはいないだろうか。 便利で豊かなことのみを追求したことで、肝心なものを捨て去ってはいないだろうか。 子供を持つ立場となって、思い悩むこのごろである。

明日は明日で別の事件が発生して、近所の事件は忘れ去られるのだろう。 本当に豊かな世の中なのか、今一度考え直してみようか。

バレンタインデイ(2004年2月14日)

昨今は義理チョコさえももらえなくなったが、バレンタインデーといえばチョコレートである。 中学生の頃は、ようやくチョコレートをあげるということが、 社会的にされるようになった時代だったんだろう。 義理だの何だの、まるでお中元かお歳暮のようにやり取りされるようになった昨今は、 どうでも良くなってきたと思うのは、心がかれてきたからなのだろうか。

それはともかく、はもーるでは、この日は女声から男声にプレゼントするという習慣が、 創団以来続いているようなのである。 アットホームな雰囲気をもつはもーるらしい年中行事だと思う。 というわけで、バレンタインチョコは必ず一個はゲットできるのだ。

今年は娘らがパパチョコを作ってくれたので、 2個ゲットである。 儀礼ではない贈り物は嬉しいものだといっておこう。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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