明日の朝までうたっていたい♪(2004年5月2日〜5月8日)

出発準備 KIX→DTR→MEM→MFE メキシコへ テキサス観光 ヒューストンへ 帰途につく グリーン車の乗り心地



出発準備(2004年5月2日)

いよいよ、明日からメキシコへの6日間の旅である。 大まかな準備はできているが、荷造りを今日中にやってしまわないといけない。 主な荷物は着替えだよな。 どの日に何を着るかを考えてかばんに詰め込む。

着替え以外は、機内での暇つぶしくらいか。 そうそう、塗り薬も持っていかないと。 他には…予備のクレジットカードもひとつ、こんなものか。 まあ、なるようにしかならんのだ。

KIX→DTR→MEM→MFE(2004年5月3日)

駅まではタクシーで移動する。 代金を払うのに、日本円を出すのに一苦労である(^_^;)。 すっかり海外旅行モードになってしまっている。 余裕をもった電車に乗ったせいか、乗ろうとしていた空港バスよりもひとつ早いのに乗れてしまった。 なぜか同じようなタイミングで集合しているメンバーが何人かいる。 この調子では、かなり早い時間に空港に着いてしまうな。

予想通り9時半過ぎには関西空港に到着、出発までにはまだ3時間以上も余裕がある。 外貨に両替する必要もないし、ちょっと早く来すぎたようだ。

ダラダラしながら時間を過ごし、ようやくチェックイン時間となった。 荷物を持って出国ゲートに行くと、 何を持って判断したのかは謎だが、荷物のセキュリティチェックに引っかかってしまった。 荷物をあけてひたすらチェックする係員たち。 どうたら、お茶の入ったペットボトルが引っかかったようだ。 一口飲んでみろといわれる。 ガソリン類の持込を恐れているらしい。 もちろん後ろめたいことは何にもないので飲む(^_^)。

不幸はこれだけで終わらず、 コンピュータでランダムに選択された荷物チェックにまたしても引っかかった。 私を含めて4人が犠牲者である。 先ほどセキュリティチェックを完了したはずの荷物を再度チェックする係員。 ご苦労なことだ。 さっきのチェックってなんだったんでしょうね?

今回のフライトはノースウエストである。 せっかくなので昨日のうちにFFPにインターネットで加入しておいた。 カウンタで申告すると、その場でマイルを加算(?)してくれたようだ。 今回のメキシコ以降で乗る予定はまったくないが、 登録しても特に損はしないだろう。

行程は、NW70でデトロイトまで行きここでアメリカ入国。 その後、メンフィス、マッカーレンと乗り継ぐ。 飛行機乗り放題(^_^;)の一日となる。

入国では、またしてもコンピュータに選択された4人がセキュリティチェックを受ける。 靴を脱いだり、金属探知機で危険物を持っていないかチェックするのだ。 9月11日のテロ以降は、米国入国は本当に厳しくなっていることを実感した。 10年ほど前のデトロイトはほとんどフリーパスだったのになあ。

マッカーレンに着くまでに、もう一回セキュリティチェックに引っかかったか。 似通った名前がブラックリストに載っているんだろうか。 関空出国時に引っかかった4人は毎回のようにチェックされていたようだ。

他にも、トランジットの空港で喫煙場所を探して一度乗り換えエリアより外に出て、 チケットが同行の別の人と入れ替わっていて大変な目にあった人もいた。

何やかやありながら、現地時間(米国中央時間)の22時前にマッカーレンのホテルに到着。 36時間ほどの長い一日が終わった。

メキシコへ(2004年5月4日)

今日はメキシコの工場見学のため一時的にメキシコに出国する。 国境を越える祭の税金は、現地の警察との交渉より不要になったらしい。 良くわからないが、交渉はしてみるものだ。 入国カードもいらないと言うことで、 米国の入国とは大違いである。

合衆国側で複数車線の立派な舗装道路は、 国境の川を渡る橋の真ん中で急にガタガタの路面となる。 メキシコ領内に入ったのだ。 入国管理施設を越えると一気に1車線の路面状態に悪い道になってしまった。 道路には牛も歩いており、国の貧富の違いを実感させるものであった。

1時間程度でメキシコの工場に到着する。 工場の概要の説明と内部の見学、 そして工場の現状抱える問題について教えていただいた。 毎月、多くのワーカがやめていくというメキシコの現実に少々驚きも覚えたのは事実だ。

6時間ほど滞在した後、再び合衆国へ入国する。 ここではセキュリティチェックはなかった。

夕食はメキシコ工場の駐在員との懇親会である。 ビールとステーキ。 アメリカを満喫できたといえよう。

テキサス観光(2004年5月5日)

ゴルフ組と観光組に分かれて過ごす一日。 もちろん私は観光組である。

まずはレキシントン博物館である。 二次大戦に参戦し、日本への空襲の拠点となった航空母艦そのものが博物館となっているのだ。 神風特攻隊のゼロ戦がぶつかったあともそのままに保存され、解説の看板までが取り付けられている。 日本軍の飛行機を撃ち落とした記録が誇らしげに書かれた文章は、 大戦の勝利を大いなる歴史として残していることが感じられる。 日本人としての感覚は、その大きな取り上げられ方に違和感を感じるが、 一方で日本国内で戦争が語られないことに関しても疑問を強く感じるものだ。 バランスよい歴史感覚というのは難しいものだが、 今の日本は戦争について考えなさすぎるような気がする。

次に行ったのはコーパスクリスティ博物館である。 テキサスの歴史が学習でき、地元の小学生の団体がたくさん見学に訪れていた。 ここには、コロンブスがアメリカ発見時に乗っていた船の実物大レプリカがあることでも有名らしい。 レプリカを実際にみて、大西洋を渡るにはあまりに小さな船体にびっくりした。

この日の夕食はタイ料理である。 現地駐在の某氏がここの料理が好きだということで、 ここで懇親会が設定された。 アメリカに来てタイ料理を食べるのは必然性はないが、 タイ風の水炊きは日本人の口に良く会う気がした。 日本にいるときのように白菜を食べ、身体が元気になったような気がした。

ヒューストンへ(2004年5月6日)

コンチネンタル1440便でヒューストンへ向かう。 ここの飛行機搭乗でもセキュリティチェックにかかる。 どういう基準で選定しているのかが大変謎の選定プログラムである。 何かデータベースが間違っていないか?

ヒューストンではまず、テキサス独立戦争の戦場跡にあるサンジャシントモニュメントに行く。 戦争当時の地図や都市ヒューストン名づけのもとになったヒューストン氏のことなどが展示されていた。

昼食後はNASAへ。 何はともあれオペレーションセンターを見学だ。 20分おきに案内バスで構内に入場する仕組みなのだが、 何かのトラブルで1時間近く待たされてしまった。 先端科学の粋を集めたNASAであっても、見学希望者のオペレーションというローテクには弱いらしい。 この領域は日本の技術には敵わないようである(^_^;)。

オペレーションセンター内では、現在建設中の宇宙ステーションの実物での訓練が行われている。 訓練といっても、実際に宇宙に持っていくものを使って実施するのだ。 日本の提供しているブースも二つ。 先端科学とはいえ、見かけからはごく普通の施設に見えてしまうほどあっけないものであった。

施設の見学を終え、大阪万博で見損ねた「月の石」を見に展示ブースへ。 30年前の大行列を演出した石も、ここでは待ち時間なしでじっくり見ることができる。 このあと、10分ほどでみやげ物の買い物。 スケジュールの大幅な遅れで忙しい買い物となった。

夕食はステーキである。 BSE騒ぎはなんのその、米国に来てステーキを食べずして何を食べるのか。 うまい肉とイタリアの赤ワインで、満腹の食事であった。

宿泊は高級ホテル、ウェスチンオークスである。 ここの滞在時間がわずか5時間とはもったいないことだ。 あと数時間でも過ごしたい気分だが、帰国便の津堂で仕方がない。 明日は4時半の起床である(^_^;)。

帰途につく(2004年5月7日)

早朝に起きて帰国の途につく。 食事すら昨夜スーパーで買ったパンのみである。 と思っていたら、ヒューストンの現地添乗員の方がおにぎりの差し入れをしてくださった。 こんなときのおにぎりは嬉しい。 日本人を実感する瞬間である。

そもそも、当初の計画ではもう少しまともな時間の出発予定だった。 関空便が確保できていないことが一週間ほど前に判明して、 急遽手配したこんな時間になってしまったのだ。 おまけに日本の到着は成田である。 トホホである。

話を帰途に戻そう。 入国の際はあれほど厳重だったセキュリティチェックも、出て行くとなると適当なものである。 今回はボディチェックされることもなく、無事に出国ロビーに抜けられたのであった。

昨日じっくり買い物ができなかったので、最後のチャンスのお土産探しをする。 小物を何点かと会社用のチョコレートをゲット。 BSE騒ぎがなければ、ビーフジャーキを買ったんだけどな。

グリーン車の乗り心地(2004年5月8日)

旅の疲れもあってそこそこ飛行機の中では眠れた。 予定よりも30分以上も早く成田に到着できたのもラッキーである。 したがって、神戸までの予定の電車をすべて変更して、 帰宅は1時間以上も早くなったのが嬉しい。

さて、昨日の項で飛行機の予約が取れていなかった話を書いた。 そのお詫びにというわけで、旅行会社が奮発して、 成田からの特急と新幹線をグリーン車を手配してくれていた。 おかげで疲れた身体をじっくり休めながら帰りつけたような気がする。 もっとも、せっかくのグリーン車であったが、ずうっと眠っていたに等しいから、 もったいなかったような気もしないでもない。

そうそう、新幹線のグリーン車には、京都まで某大物政治家(前衆議院議員)N氏が乗っていたことを書いておこうか。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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