Who's Next?

updated on April 15th, 2001

第7回 渡辺由佳里さん(30期)

三十期、ソプラノの渡辺由佳里(現在Yukari Watanabe Scott)です。

「初恋」というものは、後で何度恋をしようが、決して忘れないインパクトの強いものだと言われます。 甘美で切なく、思い出すだけで胸がざわめくようなもの…… ところが私の場合、これに相当する初恋というものを経験していないようなのです。 記憶のどこを探してもそういう甘酸っぱい想い出とともに浮かぶ男性の顔というのはなくて、 これまでなんだか損をした気分でいました。 甘く、切なく、何十年経っても夜中にふと懐かしい場面がよみがえり胸を熱くする…… よくよく考えてみると、ぴったり当てはまる体験がありました。 私にとっての初恋は、合唱というか豊岡高校音楽部だったみたいです。

運命の出逢いは、和魂ホールで行われた音楽部による新入生歓迎音楽会でした。 曲目は、(あげさんの記録によると(編注:いやあ、当時副部長の松本さんの記録でしょう)) 『河口』、『海よ』、『怪獣のバラード』、『涙を越えて』、『春の訪れ』、『一人じゃないの』、『恋は水色』でした。 人間の声が重なりあい絡み合うことの力強さに頭を殴られたような衝撃を受け、しばらくぼうっとしていたのを覚えています。 それからも暫く、入部なんて「畏れ多い」ことは考えてもいませんでした。 帰宅時に四階の窓から降ってくる「おーい、そこのお嬢さん、音楽部に入りませんかー?」 という指揮者の水野氏の声に胸をドキドキさせながらも 「まったく、私の声も知らないくせに声かけるなんて、女なら誰でもいいんだわ(本当は男の方が貴重品だった)、浮気者」 とぷんぷん怒りながら足早に逃げ去り、 声をかけられない日は「ちょっと無視されたくらいで諦めるなんて、それだけのことだったのね」と涙し、 それでも自分から積極的に入部する勇気がでないまま、悩み続けていました。 それだけ悶々としていたくせに、 ある日教室に『布教』にやってきた部長の多布さんが 「音楽部にはいりましょう」と誘ってくれただけで抵抗もせず即座に入部した尻軽の私です。

とりわけ想い入れの強い曲は「島よ」です。 「降りしきる雨のなーかでー、島よおまえは、傷ついたけものー」という一節を口ずさんだだけで、 春の柔らかく膨らんだ風や、真夏に脚を伝ってソックスに溜まった汗、夏合宿のきゅうりの酢の物、 合唱コンクールの後の見知らぬ駅のプラットフォーム、 リサイタルのステージで目を射たスポットライトといった何百ものシーンが一瞬のうちに胸によみがえり、 私を切ない想いで満たします。

高校卒業後、京都大学医療技術短期大学部に入学し、真っ先にしたことが所属する合唱団探しでした。 医学部の合唱同好会(正式な名前は忘れました)に入会しましたが、 そのレベル(志)の低さと女子大からボーイフレンド探しにやってきた女の子たちの目的意識のズレに失望し、 私は一般の合唱団、京都エコーの入団オーディションを受けることにしました。 京都エコーが東芝EMIから出している「島よ」に憧れていたこともあって、 私としては清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟でオーディションに向かいました。 不運なことにオーディション当日私は風邪気味で、「君、いい声してるねー」と、 どんどんオクターブが下がっていくのです。 悪い予感がしていたのですが、はっきり「アルト」として入団が決まったとき、 私は泣きたい気分でした。 「私はソプラノです」と抵抗してみたのですが、 「何を言ってるの、その声はアルトだよ。ワハハハハ……」とまったく取り合ってもらえませんでした。 アルトでも名門『京都エコー』に入団できただけでありがたいと思い、 そこにすべてを捧げられたら幸福だったと思うのです。 けれども、やっぱり私はソプラノを歌いたかった。 あの音域を出しているときの恍惚感というのは、私にとって何ものにも例えられない甘美な体感なのです。 私は、どうしても懐かしい「島よ」を、ソプラノとして、アルトやテナーやバスと絡みたかった。 それも、やはり恋人関係に似ているような気がします。 自分を変えてまで、理想の恋人に愛されるように努めるか、それとも……

私は医学部の合唱同好会を辞め、 ソプラノのパートを歌うために京都大学音研「ハイマート」という京大内では小規模の合唱団に入部しました。 京大合唱団というのもあるのですが、ハイマートは外部大学からの入部を認めていないのでこぢんまりとしていて、 居心地の良いところなのです。 ここでは私は一番高いパートを歌うソプラノで、 指揮者に「渡辺さん、他の人に合わせて音量を落としてください」と毎度のごとく注意され、 京都エコーでは、コンクールになると一番低い部分を歌うアルトに押しやられ、 「こらーっ渡辺、口だけパクパクして歌ってるふりするなー!(ちゃんと歌ってるのに)」と指揮者の浅井氏に怒鳴られる毎日。

そんな二重生活を続けているうちに、私の声はどっちつかずの奇妙なものになってゆき、 ボイス・トレーナーには「このまま両方続けると破滅」と宣告され、 大学の実習などと重なって時間的余裕がなくなり、悩みは深まってゆきました。 またしても同じジレンマ、「恋人の求める女に変わるか、恋を諦めるか」。 すっかり、ノイローゼ状態でした。 こうして十五から二十歳までの私の青春は、すべて合唱を中心に回っていたといっても過言ではありません。 哀しいことですが、アルトとソプラノ、京都エコーと京大ハイマートという三角関係の恋に疲れて、 私は両方の恋人から逃げ出してしまいました。 これが、私の情熱的な恋の終焉でした。

二十歳で合唱を辞めてから、私は二度と合唱団に属していません。 たぶん、豊岡高校音楽部での「両思い」の初恋のインパクトが強すぎたのでしょう。 憧れ、焦がれ、孤独、絶望、癒し、再生……わずかの間にこれだけの濃密な情動を私に教えてくれた恋を越えるものは、 そうそう見つかる筈がないのです。

歌という表現方法を失った私は、沸騰するマグマのような行き場の無い想いを溜めこんでいましたが、 十七年経って突然絵を描き始め、それをボストン近郊の画廊で販売するようになりました。 そして、絵を描く作業が、今度は冬眠していた文筆への情熱を呼び起こし(高校のときから詩を書き、 二十四歳で現代詩手帖年鑑の詩人住所録に記載されたこともあります。でもそれ以降筆を折っていました)、 ある日突然頭に訪れた物語を二ヶ月半で書き留めた「ノー ティアーズ」が、 今年二月に第七回小説新潮長篇新人賞を受賞しました。 それも、これも、十五歳の春の日、豊岡高校音楽部の歌声を聞いたところから始まったような気がします。

初恋というのは、やっぱり人生を変えるものなのですね。

四月十三日、ボストン郊外のレキシントンにて

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ひょんなことから、知り合いの輪が拡がるものでございます。 今回は海を渡ってのWho's Nextとなりました。 インターネットでは距離を感じさせませんね。 さて次の執筆者は誰かな。

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Kamimura Masatsugu in Akashi city, Hyogo, (C)Kamimura 1999-2001
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