Who's Next

updated on October 24th, 2000


第5回 上田由紀子さん(40期)

みなさま、こんにちわ。40期の上田由紀子です。 旧姓、山本由紀子。ソプラノで伴奏者をしていました。 現在(2000年)は、豊岡高校勤務4年目で、音楽部の顧問をさせていただいています。 どうぞよろしくお願いします。

さて、早田さんをはじめ、 いろいろな方がご自分のことをいろいろと書かれていますね。 私もそれに習って、今までの合唱・音楽生活についてお話ししてみます。

小学校1年からピアノを始め、高学年の頃はスポーツ少女でした。 それがなぜか突然、中学校の部活で「合唱部」に入ってしまいました。

動機はなんだったのかよく覚えていませんが、 音楽の先生が大好きだったからかもしれません。 運命的な出会いです。 この出会いがなければ、今こうして音楽に携わってはいないと思います。 その先生は、現在森本中学校にいらっしゃる「絹本、旧姓田渕春子先生」です。 当時の豊岡は、小学校も、北・南中学校ともとても合唱が盛んで、 私もMBSコンクールで、西日本大会にも行きました。 田渕先生にあこがれ、大阪音大に行きたいと何となく思い始めましたが、 自分のレッスンの曲は対して練習せず、部活の伴奏ばかり弾いていました。 ある時、豊高音楽部に見学に行くことになりました。 「どきどき」。あこがれの豊高音楽部。 大谷賢司さんが学指揮でNコンに出られた年でした。 あれから、十数年。まさか、自分がその部の顧問になろうとは・・・。

高校時代は、先輩方は楽しく優しく厳しくでした。 入部してすぐに、「内なる遠さ」の「深海魚」の伴奏を三日で弾いてこいと言われ、 「えーっ」と思ったものの、負けず嫌いの私は仕上げていきました。 学指揮の先輩のびっくりした顔。やっぱり伴奏が好きだったのでしょう。 音大受験のため、レッスンに走り回る毎日。 ピアノは音楽部の初代顧問である浦川先生に教えていただき、 週末は音大の先生まで通っていたので、 部活は二年のリサイタルで引退して・・・。と思っていました。 しかし、吉田先生に「音楽部との両立もできないようでは、音大に受からん」などと上手に言われ、 結局3年のNコンまで出ることになってしまいましたが、 その後めでたく大阪音楽大学合格。ほっ。

大学では、声楽の専攻して、歌曲やオペラの勉強をしました。 高校時代は、ばりばりのソプラノだったのですよ。 「河口」の最後の高音なんてらくらく。 しかし、運命の日はやってきました。 愛する我が師匠から「あなた、アルトに近いメゾソプラノになるわ」。 がっ、がーん。あまりのショックに数日声が出なくなりました。 大学では、今をときめく「本山秀毅先生」合唱の授業がありました。 三善晃の「三つの叙情」だったかな。 いきなり歌わされて、みんな必死になっていたら、 「音大生ならこの程度初見でしてほしいなぁ」とさらりとおっしゃいました。 「せんせー、そんなことできません」。 大学卒業後、学部専攻科に残り、もう一年勉強し、 修了後は、ザカレッジオペラハウス合唱団団員、 伊丹市民オペラ、関西歌劇団準団員などで、 いろいろとオペラに出させていただきました。 メゾソプラノなのでとても重宝がられました。 「このまま大阪で歌っていたい」という私の思いとは裏腹に、 突然の県教員採用試験合格。

音楽の町、兵庫県赤穂市へ。 県立赤穂養護学校で、三年間お世話になり、すばらしい子供たちとの出会いがありました。 そして、 赤穂児童合唱団の伴奏や第九演奏会のアルトパートリーダーとして指導をさせていただきました。 今までの合唱活動の中で、一番の思いでであるこの第九演奏会。 ドイツ語も合唱も初めてという方あり、 年齢も中学生から60代くらいまでの6、70人。 自分自身とても勉強になり、赤穂に永住しようかしらと本気で考えるほど、 みなさんいい方たちばかりでした。

豊岡高校勤務。みなさんいいように言われますが、ほんといろいろと大変なのですよ。 長年の伝統をつぶしてはいけないという重圧。 楽譜を見るだけで頭痛が起こるほど、思い詰めていた時期もありました。 自分たちがやっていたときとは、状況は全く違います。 プレッシャーにつぶされそうになりながら、 なんとか今までがんばってきています。 それは、生徒たちが大切だからです。そしてやっぱり音楽が好きなのでしょう。 去年は長女を出産し、今は仕事と子育てでくたくたなる毎日ですが、 かわいい生徒たちと子供に出会えて、幸せだなぁと感謝しています。

今まで、音楽を通して数多くのすばらしい方と出会えました。 厳しかった先生、励まし合った仲間、私の歌を聴いて涙を流してくださった方、 私の未熟な指導にも関わらず、第九を歌い上げ感動で握手をしてくださった方。 出会ったすべてみなさんに感謝を申し上げます。 そして、何よりも今一緒に、 歌っている生徒たちに「ありがとう」を言いたいです。

OBのみなさん、こんな顧問で心配になられましたか。申し訳ありません。 これからもっと努力して、部活の指導をしていきたいと思いますので、 またぜひ音楽室に足を運んでください。

40期 上田由紀子さんへのメールはこちらへ!

Who's next? 半年ぶりの更新で第5回になりました。 このペースだと皆さんの順番はなかなか回ってきませんね(^_^;)。 次はあなたに原稿依頼が行くかも。 ご協力をお願いします(^_^)。

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Kamimura Masatsugu in Akashi city, Hyogo, (C)Kamimura 1999,2000
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