つれづれ日記〜子午線通信〜(1999年4月4日〜10日)

自宅での生活開始 色々と雑用 子供の入学前夜 上の子の入学式 帰任後最初の出社 仕事が降ってくる 演奏会前の合宿

自宅での生活開始(1999年4月4日)

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午前中に引越し屋さんに荷物を託し、大掃除タイムとなる。 荷物のなくなった部屋はだだっ広くて、こんなにも広かったのかと感動したりして(^_^);;。 いかに散らかしていたかがばれてしまう。 あっという間に掃除も終了。料理用消耗品・調味料の残りを合唱部のOさんに引き渡しに行った。 買い物袋に4袋もあって、意外な量の多さにOさんもびっくりしていた。

部屋の引き渡しまではまだ2時間あるということで、名鉄三河線の終点まで往復することにする。 この時の出来事は、旅行記に書く予定だが、それは未定ということかもしれない(^_^);;。

マンションに戻って、部屋の引き渡しも終了。 1年半生活した豊田の地を後にして、明石への帰途に向かった。

出張のたびに帰っていたのと同じ感覚で新幹線に乗り、同じ感覚で自宅に帰る。 帰り着いてからも、実感は湧かなかったけれども、 とにもかくにも自宅生活が復活したということだ。 日常の生活のなかでそのうち実感もされてくるのだろう。

とにかく、帰った。

色々と雑用(1999年4月5日)

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昨日発送した荷物が午前中に着く。 大物は実家方面に送ったので、意外なほど荷物は少なかった。 それでも、発掘作業をしないとどこに入っているのか分からないのだけれど。 必要なものの荷解きをして、あっという間に午前中は終了。 せっかくの平日の休みがもったいないような気がする。

午後からは買い物に駆り出される。 午後も気がついたら夕方になってしまっていた。 雑用でむなしく過ごした(実は充実した)1日であったといえようか(^_^);;

子供の入学前夜(1999年4月6日)

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いよいよ明日は上の子の入学式の日である。 不安と期待が入り交じったような妙な気分でいるらしい娘は、どことなくそわそわしている。 そわそわは親にも伝染してくるような、そんな感覚を覚えた。

明日のおめかしというわけではないが、午前中のうちに散髪に行くことにする。 1ヶ月以上前から行く機会をうかがっていたが、なかなかその機会がなくて、 いつも「行事」の直前に慌てていくことになる。 まあ行ける機会がないよりはマシなのだが……。

夜になっても浮かれた気分の収まらない娘の姿に感慨を抱きながら、 とにかく早く寝かせることにして、21時半には皆で布団に入った。 引越し作業の疲れが溜まっていたこちらの方が早く寝てしまったようで、 気がつくと、明け方になっていた(^_^)。

上の子の入学式(1999年4月7日)

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校庭には桜の花が咲いて、まさに入学式日和。 一緒に行く予定だった妻は調子が悪くて、子供二人を引き連れて小学校へと向かった。 受け付け開始の時間よりも少々早く到着したのだが、すでに何人かの先客(^_^)が列を成していた。

受付時間となり、中に入って書類を受け取る。 今日の主役の徳は、6年生のお姉さんに連れられて教室へ行く。 私と下の子は、保護者席に座った。 新入生は180名で5クラス編成、徳のクラスは5組となっている。 同じマンションの女の子とも一緒のクラスである。

式の開始時間が近づいてきて、保護者席も埋まってきた。 幼稚園のときと違ってお母さんだけの出席の割合が多くなっているようだ。 ビデオを構えている人数も少なくはなっている。 それでも、結構な数のカメラマン集団だったが(^_^);;。

そうこうしているうちに入学式は始まり、何事もなく終わる。 「君が代」は演奏のみがあって「斉唱」はされなかった。 やるなら斉唱する方が良いだろうに、 姑息な手段でとりあえず実施したぞという思惑がミエミエである。 なぜ歌わせなければならないのか。 なぜ歌うことに反対するのか。 これらのことを議論することに目を背けているのが問題なのに……。

式の後は各教室での担任紹介と教科書等の配布となる。 教科書は、国語・書写・算数・生活・音楽・図画工作・給食の7冊だった。 自分の頃(なんと30年も前だ!)よりもカラフルになっているというのが第一印象か。 「給食」は教科書というよりは副教材なのだろう。 理科と社会が生活の一科目に変わっているとはいえ、何か少なくなったと感じる。 詰め込みはいけないと思うけれど、一番吸収できる頃に、 もっと分量があっても良いような気もする。
先生は30代半ば(?)のベテランの先生で子供たちの扱いも手慣れているような印象だった。

ともあれ、無事に入学式は終了。 明日からの学校生活はどうなるか、子供以上に楽しみである。

帰任後最初の出社(1999年4月8日)

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子供の入学式の翌日は、自分の職場への復帰である。 1年半近く別の環境で仕事をしていると、浦島太郎状態になっている訳で、 新しいプロジェクトが始まった矢先であるから、 ますます訳が分からない状態が増幅している。 まあ、仕事をしていけば何とかなるさとお気楽な私。 初日はまずは仕事の環境を整えることに専念して、早めに帰途についた(^_^)。

仕事が降ってくる(1999年4月9日)

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仕事の二日目になると、さすがに放っては置かないのは世の常で、 大きな仕事から雑用にいたるまで数多く降ってきた(^_^;;)。 大き目のものはスケジュールを考えながら適当に配置し、 細々とした雑用をまずは片づける。

多くの仕事をさばくのは雑然とやっていると大変な訳で、 その点、2年前から使用しているTime Systemというシステム手帳は良くできていて、 まさに仕事をいかに回すかということを主眼に設計されている。 興味のある方はと紹介しようと思ったが、URLを忘れてしまった。 そのうち「リンクのページ」に載せておこう。

何とか今日の分の仕事をやっつけ、家に帰る。 社会復帰はあと一歩というところか(^_^;;)。

演奏会前の合宿(1999年4月10日)

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来週に迫った演奏会のための合宿が今日と明日の二日間、名古屋地区で行われる。 一緒に行きたいと二人の娘にせがまれたが、さすがに下の子を連れると練習にならないので、 徳だけを連れて合宿場に向かう。 小学生になった徳は、やはり成長しているようでお利口さんに電車に乗っている。 楽に連れ出せるようになる頃は学校で忙しくなる訳で、 うまくはいかないものだとふと思う。

アニメの練習では一緒に歌ったりして、それなりに練習を楽しんでいたようでほっとする。 ちょっと前までは走り回って練習の邪魔になっていた頃を考えると、 こうした所にも成長を感じる。

今日の宿泊は名古屋ユースホステル。 2段ベッドは初めての経験にはしゃいで「一人で上の段に寝る」と言っていた徳も、 眠ってしばらくしてから、目が覚めてふと不安になったのか、下の段に降りてきた。 こういう点はやはり子供だな、とほほえましくなる。 親のとなりにぴったりとくっついて安心したのか、朝までぐっすり寝ていたようだ。


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Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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