つれづれ日記〜子午線通信〜(1999年4月18日〜24日)

流行歌認知のギャップ 選挙について マンション管理組合の理事会 定時退社 事務所の引越し準備 いまさら歓送迎会 お楽しみ合宿

流行歌認知のギャップ(1999年4月18日)

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打ち上げの後、二次会は例によってカラオケ。 朝まで歌い放題モードであることは言うまでもない。

リハーサルで歌い、演奏会で歌い、打ち上げで歌い、さらにカラオケで歌う。 本当に歌うのが好きな人たちの集団だなあと再認識する。 日付変更線をはさんで(^_^)、歌いつづけているメンバーにも睡魔が襲ってくる。 このくらいの時間になると、いつものメドレータイムに突入することになる。 だいたいが歌いたがりだけに、マイクを持たずに熱唱できるメドレーは都合が良いということだろう。

ヒットソングメドレーを70年代、80年代、1990からは1年ごとに1997年まで。 10のメドレーを歌ってみて気づいたことは、1993年まではほとんど歌えるのだが、 1994年でいきなりほとんど知らない状態になることであった。 良く考えてみると、今の仕事に変わって、非常に忙しくなったことが原因のようだ。 もっとも、その頃から小室哲哉のプロデュースする歌が増えてきたというのも、 知らない歌が増えた要因かもしれない。 なぜって、キライだから。

最近は少しは流行歌も知っているものが増えているようで、1999年メドレーだったらきっと歌えるかな。

選挙について(1999年4月19日)

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今度の日曜日は統一地方選の第2弾という訳で、我が明石市議会もその日が投票日になっている。 たまたまその日は出かけているので、明日の帰宅途中に不在者投票をしておく積もりなのだが、 今日時点では選挙公報が配達されていない。 昨日公示で今日、というのは所詮無理とは思うけれども、 投票しようと思っていても、こういう状態では棄権せざるを得ないという人も多くいそうである。

何かで読んだ記憶があるが、その昔は選挙期間が1ヶ月近くあって、 選挙運動にお金がかかるということから、今のように1週間程度に短縮されてしまったらしい。 ほとんどの人が顔見知りの小さな村ならともかく、数十万人が住む明石市では、 1週間ではどういう政策を実行しようとしているのかを伝えることなんて。 到底無理なのではないだろうか。 おまけに、選挙運動の手段としてインターネットが使えない状況を考えると、 ひたすら候補者の名前を連呼するどぶ板選挙が一番効果的な運動という、 各候補者の選択もあながち間違っていないと言えよう。

政治改革だ、政策による論戦だなどという前に、 それができるような選挙運動のあり方について、考えて欲しいと思う。 さて、明日は誰に投票しようか。

マンション管理組合の理事会(1999年4月20日)

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マンション管理組合の理事会に出席のため、仕事を定時に切り上げて帰宅する。 まずは市議会の不在者投票。 その場で選挙広報を読んで、「若くてやる気がある」という基準で投票した。 はたして当選するかな。

さて、理事会の話。 今日が初会合ということで、理事会の位置づけと進め方についての話があった。 管理会社の担当者も出席されていた。 もっと頼りない感じかと思っていたのだが、意外にもきちんとした対応のようであった。

前期からの繰越し案件の対応についての相談をする。 マンション建設会社との案件がやはり多いようで、解決速度も遅目のよう。 理事長はなかなか大変そうですな(と、平理事はお気楽モード)。

毎月第3金曜日の21時からを定例として開催することを決定してお開き。 マンション運営の様子も分かるということで、そこそこ面白そう。

定時退社(1999年4月21日)

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毎週水曜日と金曜日は定時退社日ということになっている。 設計部門は多忙ということで、永らく有名無実化していたのだが、 不景気の昨今、残業費の節減のために(という訳でもないのだろうが)、 かなり厳しく運用されるようになったらしい。 そういう訳で、まだ明るいうちに帰途に就くことになった。

こんなに早く帰れば、当然自分の時間は取れるだろう。 そう期待するのも無理はないが、判断は甘かった。 気が付くと21時を過ぎ、子供を寝かしつけているうちに、 こちらの方が眠ってしまっていた。 まるで落語で聞いたような話である。

いつになったら自分の時間が取れるようになるか。 連休まで無理かな。

事務所の引越し準備(1999年4月22日)

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この週末に、事務所が引越しをする。 が、金曜日(つまり明日)は出張ということで、一日早く身辺整理モードである。

コマゴマしたものを通い箱に詰めていくと、思った以上に荷物があるものだ。 結局4箱分もの荷物ができてしまった。 それも思い切って色々捨てた後の話。 引越し後も思い切って捨てることにしようと、固く誓ったのであった。

いまさら歓送迎会(1999年4月23日)

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神戸に戻って3週間。 ようやく豊田での送別会である(^_^)。 どのみち今月中は出没するでしょう、と言われて、 「そ、その通り」と答えてしまうあたり、結構間抜けかもしれない(^_^)。

私の後任、他社からの新たな出張者もまじえての歓送迎会では、 まだこちらで生活しているような錯覚を覚えた。 実際問題、豊田の事務所にいても、違和感なく生活できるのだから、 1年半という期間は結構長いということか。

これでひとまず豊田生活のひと区切りもできた。 こちらに来る頻度も減るかな?

お楽しみ合宿(1999年4月24日)

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せっかく豊田まで来たのだからと、お楽しみ合宿というものが企画されてしまった。 何をするって、コンクールの選曲を技術系を中心に試食してみようということだ。 三度のめしよりも歌が好きという、物好きな連中が10名くらい集まったのだった。

一通り歌ってみての感想は、やはり自由曲は大変だねということ。 皆さん頑張ってね、とOBとなった私は旗を振るのみである(^_^)(^_^)(^_^;;)。

合宿というからには、当然お泊りが付き物。 熱く語り合ったのは言うまでもない。 が、酔っ払いモードのため、記憶がないことにしておこう(^_^)。


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Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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