つれづれ日記〜子午線通信〜(1999年11月21日〜27日)

全日本コンクール二日目 平和公園・宮島 第九の練習 仕事が山積み(^_^);; またしても子供が 保険料が下がった(^_^);; 北風ピープー吹いている

全日本コンクール二日目(1999年11月21日)

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昨日に引き続き全日本コンクールを聴きつづけた。

朝はトヨタの人々と行動をともにし、開場までのひとときを直前練習見学で費やした。 昨年は一緒に歌っていたんだな。 今年は第三者ということもあって冷静な目で練習が進むのを見守る。 やっぱり朝はテンションが下がっているのか、ベースを中心に色々な問題が発生している。

声を出し始めて1時間が経ち、練習の記憶も戻ってきたのか少しは音楽が鳴るようになってきた。 そろそろ開場の時間である。 一区切りしたところで、練習している人々に一旦別れを告げてホールへと向かった。

ホールに入ったところで、合唱の部屋でおなじみの国島さんに出会う。 昨日は2階で聞かれていたということで、今日は一緒にその辺で聞くことになった。

まずは、職場の部が始まる。 昨日と同じように、朝一番の団体は大変である。 やっぱり声が出てこない。 おまけに、音楽的な流れも今ひとつで、職場の部の多難さを感じさせる。 全国大会レベルに達していない団体があるのも悲しいものがある。 途中の休憩まで聞いて、トヨタがうまく演奏すれば、上位に入賞するのではないかとの印象を持った。

それでも金賞常連の演奏はさすがである。 はっきりとした差が感じられる。 今年も昨年と同じ団体がシードなのだろうか。

さて、いよいよトヨタの演奏である。 テノールの出の音は大丈夫だろうか。 うむ。2週間前の極意が成功して順調に音楽が始まった。 人数が少ない分だけ声が聞こえてこないが、 音楽的には歌い手の気持ちが伝わってくるように感じる。 昨年は一緒に歌っていたということで、贔屓目に感じているのかもしれない。 これは銀賞に入賞するのではないだろうかと思わせる演奏であった。

全11団体の演奏を聞き終えて、金賞は常連の3団体、銀賞は4-5団体、銅賞は3-4団体かな、 などと国島さんと軽く話をした後で、トヨタの写真撮影に駆けつける。 ぎりぎりセーフで合流して、ちゃっかりとファインダーにおさまる。 客席での感想を伝えて、メンバーに期待を持たせるが、果たしてどこまで当たるやら。

コンビニ弁当で昼食の後、午後は一般の部Bグループの演奏を聴いた。 全体的な印象としては、昨日のAグループのほうが聴き応えがあったし面白かったということだろうか。 人数に任せて、細かいニュアンスや表現ができていないのが気になる。 それでも、大学の部や職場の部のような問題外の団体がないのはさすがである。 どこを聞いても全国レベルの演奏といっていいだろう。 15団体も聴くと、半分くらいはどこが1位になってもおかしくないという感じ。 耳が疲れてきて、良し悪しを判断する基準がわからなくなってきた。

一時間の休憩を挟んで、いよいよ審査発表の時間となった。 トヨタの人々と一緒に陣取った。 プログラムに書き込んだ審査結果(^_^)と見比べながら、実際の結果を記入していく。 8割がた合っていてので自分でもびっくりする。 で、トヨタの結果ですが、予想通り「銀賞」と相成りました。 良かった。ぬか喜びにならなくって。

ロビーで団内指揮者の胴上げをした後、打ち上げ会場へと向かう。 4年ぶりの銀賞ということで、メンバーも大きな喜びに包まれているようだ。 当事者でない私にまで喜びが伝わってくる(^_^)。 勝利の美酒は当然のごとく旨く、打ち上げもあっという間に制限時間に達してしまった。

「酒よりは話」というメンバーが集まって、ホテルの私の部屋で2次会。 1時ごろにカラオケ組の一部も合流して、3時前まで色々な話をしたぞ。 とにかく、ひたすら演奏を聴いた全国コンクールの二日間は、こうして終わったのである(^_^)。

平和公園・宮島(1999年11月22日)

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宴の明けた朝、ゆったりとしたリズムで起床する。 トヨタの一部のメンバーとともに、宮島に行くことになっている。 朝食の後、出発前に、平和公園を散歩することになった。

前回の広島のコンクールを含めて、二回目の広島訪問であるが、 原爆とか平和とかに関わる施設を訪れていなかっただけに、 今回はちょっと時間であっても、原爆に触れたいと思っていた。 平和式典のようにテレビで見る景色と同じ物がそこには存在しているけれども、 自分自身がその場を共有していることが、大きな意味を持つことを強く感じた。 ただそこに立ち、そのことで今の平和を感じられることの大切さ、 それが平和を考えることなのだと考える。

15分ほどで平和記念館にも入ってくる。 本来ならもっと時間をかけて見てみたい。 そう思うけれども、今日は時間が限られている。 また来よう。そう思った。

宮島へは路面電車で向かう。 1時間近くのんびりと走って、宮島口へと辿り着いた。 船に乗れば、15分足らずで宮島である。

宮島に着いて、まずは昼ご飯である。 秋の行楽シーズンだからか、いつもそうなのか。 とにかく人が多いのだ。 せっかく来たのだから旨い牡蠣を食いたいという思いで、 店を探すが、どこも一杯である。 仕方なく、二手に分かれて食べることになった。 行楽地価格でちと高いか。牡蠣どんぶりが1200円(だったかな?)。

食事の後は厳島神社参拝。 昨年の台風の被害状況もパネル展示されていて、 なかなか大変な騒ぎだったようだ。 ゆっくりと見て回る時間もなく、買い物タイムに突入する。

どこを見て回っても「もみじ饅頭」ばかり。 漫才ブームのネタよりも先だったのか後だったのかは、今となっては知る由もないが、 あれで全国的に知られるようになったのは確かである。 それにしても、他の名物はないのか。 何となく白けてしまって、もみじ饅頭を買うのはやめてしまった。 予定の時間を過ぎても、買い物に励む同行の人々。 予定のひかりに乗るのはあきらめたのかな。

荷物を置いたホテルまで戻り、帰りの算段をする。 JRの連絡船経由JR山陽線で広島駅まで行けば、十分間に合うことが判って、 乗船場へと移動する。 トヨタの人々は、普段は鉄道に乗らない人が多くて、 こういう時にはJRの方まで気が回らないらしい。 私がいないと、あっさり予定の電車をあきらめていたかもしれない。

広島駅では20分くらいの余裕があり、指定券を無駄にせずにすんだといっておこう。 もっとも、私を含めて何人かは自由席だったので、 その新幹線にこだわることはなかったのだが。

自宅到着は18:00。 それなりに楽しかった今年のコンクールは終わった。

第九の練習(1999年11月23日)

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会社は出勤日なのだが、休暇を取って第九の練習に参加する。 暗譜になるというので、練習回数を減らすわけにはいかないのだ。 暗譜の苦手な私にとっては、練習の回数がそれを克服するカギなのである。

13:00から4時間の練習で、どれだけ暗譜できたかって? 10%くらいかなあ。 これから暗譜の日々が続くぞ。

仕事が山積み(^_^);;(1999年11月24日)

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土日を含めて4連休を取ったことになる。 とすると、出勤したときには山積みの仕事を抱えることになる。 さらに次の日が出張ともなれば、その準備をしなければならないから大変な騒ぎになる(^_^);;

たまった仕事を周りに振り直して(^_^)、たまったメールを読み倒して、 気がついたら夜も遅い時間だった(^_^);;

またしても子供が(1999年11月25日)

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というようなタイトルにすると、「また励みはったね」と勘違いする方がいらっしゃるかも知れないが、 そういう明るい話ではない。 出張先のホテルでテレビを見ていると、またしても嫌なニュースが入ってきた。 そう、2歳になる子供を、その子と同い年の子供を持つ母親が殺したニュースのことである。

まずは第一報なので詳細はわからないのだが、子供を持つ親が、その子と同級の子供を殺すなんて、 どういう心理なのかまったくわからない。 いや、信じられないといった方がいいかもしれない。 自分の子供が誰かに殺されたらどう思うか。 容易にその気持ちがわかる立場の人間が、子供を殺す。 わからない。

パチンコをしていて、車の中の子供が死んだというのとは、また違ったレベルの異常さである。 親同士でどういったいさかいがあったのかは知らないが、 罪のない子供を巻き添えにしないで欲しいと思うのである。 子供は親のものではないのだ。

保険料が下がった(^_^);;(1999年11月26日)

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給料の日である。 11月から各種保険料が改定される。 「保険料が下がった」ということは喜ばしいのだが、 これは月収が減ったことを意味する。 ということは……。

やっぱり世の中は不況なのだ(^_^);;。

北風ピープー吹いている(1999年11月27日)

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今夜から急激に寒くなるという天気予報であった。 予報通り、練習の帰りには北西の寒風が吹き荒れていた。 でも、今までが暖かい方だったから、ようやく冬らしい気候になったということもできる。 やっぱり冬は寒くなくちゃあね。


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Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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