つれづれ日記〜子午線通信〜(1999年12月19日〜25日)

ようやく年賀状に取り掛かる さらに第九の暗譜 今年も残り10日 臨界事故の被害者の死 「復活」のオケ合わせ 「復活」本番 はもーるクリスマスパーティ

ようやく年賀状に取り掛かる(1999年12月19日)

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体調は復活してきたので、久しぶりの全くのお休みとなった。 せっかくだからというか、もうそろそろというか、年賀状に取り掛からないと間に合わない。 パソコンの部屋を暖かくして、作業に取り掛かることにした。

年賀状といえば、まずは住所録のチェックと修正から始まる。 今年受け取った年賀状とその後の転居通知、喪中欠礼葉書を見ながらの作業となる。 ひとつひとつ確認していくから、 パソコンを触っている時間よりは葉書を読む時間の方が当然長くなり、 しかも、何度も読み返したりして。 結局、住所録の修正と入力を終えた所でタイムアップとなってしまった。

20日までに出せば2000年元旦の消印を押してもらえるらしいが、 もうそれはあきらめるしかない。 今年の12月は行事が多かったから、それはそれで仕方がないか。 来週の土日に作業を終えられるかな。

さらに第九の暗譜(1999年12月20日)

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初めての第九演奏は5割のできだったが、28日の演奏ではもう少し歌えるように努力しよう。 この土曜日に買ったMDコンポでダビングした練習MDを使って、 耳からの強制暗譜をすることにした。

パートの音だけを録音した「練習テープ」を利用したことは、 これまで一度もなかったが、 今回は暗譜という目的のために、練習回数を増やすという意味でも使わざるをえない。 さて、実際にテープを聞いてみると、歌詞を付けて歌っているものというのが効いているのか、 何度か聞いているうちに憶えられるような気がしてきた。 MIDIか何かでの演奏だと、しっくり来なかったのが嘘のようだ。 歌っているものの録音というのが良いのだろう。

これできっちり憶えられるかな。 28日のコンサートのお楽しみ(^_^)。

今年も残り10日(1999年12月21日)

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今年も残す所あと10日となった。 出来事を振り返ってみようか。

4月頭までは豊田に住んでいたんだ。 もう、そんなことはすっかり過去の出来事となってしまった。 「去る者は日々に疎し」とは、この事だろうか。 あの気ままな生活も懐かしい。

5月中旬から「はもーるKOBE」に入団して、コンクールをはじめたくさんのコンサートで歌った。 これほどの行事があるとは思わなかった。 初めての第九もそれなりに楽しめたか。

11月の全国コンクール。 全団体を聴いたのは、17年前の同じ広島でのコンクールだった。 大変だったけど、至福のときを過ごせた。 トヨタの銀賞も、春まで一緒に歌っていた仲間の入賞ということで嬉しかったぞ。

そして、怒涛の12月のコンサート。 まだ、今週の復活と来週の第九を残しているけれども、 本当に忙しかった。

ま、とても充実した一年だったことは確かなようだ。

臨界事故の被害者の死(1999年12月22日)

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東海村の臨界事故の被害者が亡くなったとのニュースを知った。 私と同年代らしい彼は、さぞ無念だったに違いない。 残された家族のこれからは大変なんだろうな。

彼のDNAは、放射線によってずたずたになっていたとの報道もある。 人間が、いや生物が自分自身であり続けるための仕組みを破壊してしまう原子力事故というものの 恐ろしさを再認識したと言っても過言ではない。

原子力発電は安全であると言い続けている政府や原子力の関係者は、 基本に立ち返って、しっかり安全管理をして欲しいと思うし、 二度と今回の事故を繰り返さないように、万全の体制を整えて欲しいと思う。

「復活」のオケ合わせ(1999年12月23日)

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さていよいよ明日に迫った復活のコンサート。 世間では休日であるというのもあって、 今日一日、オケのリハーサルと合唱のオケ合わせがあった。 もちろん、仕事が終わってから駆けつけましたが。

合唱のメンバーには公募で参加した者もいて、 前日というのにまだ歌えてないヤツがいるのがチト不安である。 まあ、神戸市混声のメンバーがいるので大丈夫であろう。 声はシッカリ出るのだから。

オケ合わせは2時間程度で終了し、いよいよ明日は本番である。 ギャラも良いみたいだし(^_^)、しっかり歌おう。

「復活」本番(1999年12月24日)

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仕事納めとクリスマスイブが重なった、こんな忙しい日にコンサートに出演するなんて、 はもーるに入ってなかったら考えられなかったなあ。 とにかく、会社は休暇にして、身体はコンサートモードで臨んだ。 でも、午前中は出勤したんですけど(^_^;;)。

16時からリハーサルでは、まずステージでの並びを決めることになった。 たまたまではあるけれども、最前列の一番バリトンよりに決定される。 すぐ目の前には、 オケのラッパ軍団(というくらい、ずらりとラッパが並んでいるのだ)が鎮座ましまし(^_^)て、 本番でも楽しめそうな予感がする。

で、19時からの本番。 1楽章の演奏の後、合唱団がステージに入場する。 オーケストラと合唱でステージが満員である。 それにもまして、客席が満席なのには驚いてしまった。 こんな日の復活で3000人以上の客とは。。。 スポンサーがチケットをばらまいたのだろうか。

本題に話を戻して(^_^)、 合唱の出は、5楽章の終わりである。 途中の楽章では、意識が遠のいていくのと戦いながら、自分らの歌いはじめをひたすら待つことになる。 合唱最前列なので、オケのパート譜を見ながら、必至に眠気と戦った。 ところどころでパーカッションが目覚めさせてくれるのは大変役に立ったぞ(^_^)。

合唱自体の出番は、何事もなく、無事に始まって無事に終わる。 どっちかというとあっさりとした感覚だった。 お客さんも、演奏のできには満足してくれたようである、と言っておこう(^_^)。

終演後は、はもーるのH氏とラーメンで一杯。 やっぱりビールまでがコンサートだよね(^_^)。

はもーるクリスマスパーティ(1999年12月25日)

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はもーるでは、最終練習日には総会をして、その後、クリスマスパーティというのが例年の行事らしい。 新参者の私は、どんなパーティなのか様子を伺いながらの初参加である。

まあ、一言で言うと、パーティというよりは忘年会といったノリといえば分かりやすいだろうか。 そう広くはない会場で、ビール・ワインを飲みながらメンバーと語り合える場というのは嬉しい。 我がテーブルは、うちの萌とあと3人の子供が集う幼稚園席となっている。 子供たちはあっという間に仲良くなって、一緒に大騒ぎ。 にぎやかなことである(^_^)。

飲んで食って、ゲームをして。 さらには、結婚発表が3組あったのかな。 まことにめでたいパーティだった。

他の人々は二次会へ行った筈だが、私は子連れだったので素直に帰った(^_^)。 でも、しこたま呑んでいたのか、結構足に来ていたようだ(^_^;;)。


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Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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