明日の朝までうたっていたい♪(2002年6月9日〜6月15日)

兵庫県合唱祭 皮膚科に行く DSPの話 今日も名古屋でラーメン 刺激物はあかんのだった ハリーポッター 献血とサッカー



兵庫県合唱祭(2002年6月9日)

La・Lu・Laとはもーる、 そして一般合同の3つのステージをこなす今日の合唱祭のステージは、 まずは10時に集合してのLa・Lu・La練習から始まる。 思ったよりも伊丹は近かったようで、ひとつ遅い電車でも余裕で間に合ったのだった。

先週の練習ではさんざんなできだったが、 今日は人数バランスも良く、それなりの演奏が期待できそうである。 私自身の声の状態は今ひとつ。 体調管理がへたくそだなあと思ってしまう。

団体集合と写真撮影の間を縫って、 豊岡高校音楽部の演奏を聞く。 52人のオンステージで、男声も10名。 何とか混声を維持できそうである。 感想は、 豊岡高校音楽部に書いておきました。

写真撮影の予定時間に戻ってみると、人々がいない。 急いで撮影場所に行くと、なんとまさに終わったところ。 ちょっと早めに行って間に合わないって、どういうこと?

演奏は、今ひとつだったようなきがする。 もう少しまるくなって、他のパートが聞こえるようにしないとあかんなあ。 KOVOXの時のほうが良かったかな。 でも、曲に慣れた上での味わいというのは表現できた気はする。

続くはもーるは、同様に練習から本番へ。 直前練習の雰囲気も良く、ステージ上の演奏も概して好評だったようだ。 色々な事故があったことは、よくある話と言って置こうか。

打ち上げにも参加し、合唱祭の一日を満喫したのだった。

皮膚科に行く(2002年6月10日)

合唱祭の翌日は休み。 そう決めている。 今回はそれが幸いした。

というのは、先週の火曜日あたりに鼻の下にできたにきびのようなものを引っかいたのが、 どうも細菌が入ったようでおかしな具合になっていたのだ。 なかなか直らないので、近くの皮膚科に行くことにする。 近くといってもどこにあるか知らないので、タウンページで探してみる。 魚住駅近くにあるI皮膚科に電話を掛けてみると、 いつも自転車を置いている場所の隣の建物のようである。 道理で聞いたことのある名前だった。

月曜日ということも合って患者は多かった。 小一時間待って5分診療。 まあ、大したことはないようで、抗生剤を処方してもらう。 体調が落ちているときになりやすいとのことだ。 いつまでも若くないってことか。

DSPの話(2002年6月11日)

Digital Signal Processing(=DSP)は、最初に製品で関わった技術と言えよう。 大学でも専門課程の一科目として履修して、それなりに面白いと思っていたのだが、 社会に出てすぐに仕事に使うとは思ってもみなかった。 小難しい理論として(もちろん、 バックグラウンドとしての理論は難しいのだが)認識していたものが、 物として動作させてみれば、手にとるようにとは言わないまでも、 身近なものとして理解できることに感動したものだ。 入社して3年目に、世界初の車載用音場制御処理装置(簡単に言うと、 サラウンド装置)として世に出たその製品は、 今では車載オーディオの標準的な機能となっている。

しばらくDSPに関わる仕事からは離れていたが、 いま携わっているプロジェクトで、少々DSPのかかわりが出てきたのだ。 入出力特性がうまく取れないということで、 久々に設定された係数を眺めながら3行プログラム(実際にはもう少し長いかな)で、 フィルタ特性のシミュレーションをしてみたのだ。 結果からは、フィルタの設定はまともらしいことがわかる。 良かった。 自分の責任範疇は正しい。 関係者に状況を伝えて、あとはお任せすることになった。

細菌は、自らこまごましたことをする機会は減ってきたが、 こうして担当ベースの仕事をしてみると、 時間の経つのを忘れてのめりこむ自分を発見した。 根っからのエンジニア魂が呼び起こされたということだろうか。

うーむ。 自ら手を動かすって、楽しい…。

今日も名古屋でラーメン(2002年6月12日)

前回うろついたときに 気になっていたラーメン屋さんに行ってみることにした。

カウンタしかない店内に無愛想な店員。 料金はリーゾナブルである。 味は今一歩か。 期待値が大きかっただけに、いまいちの印象が強い。

さて次はどこに行くかな。

刺激物はあかんのだった(2002年6月13日)

出張先での昼食にマーボー飯定食を頼んだ。 良く考えてみると、刺激物は控えよと医者に言われていたのだった。 まあいいや、うまかったし。 傷も大分よくなってきたしね。

ハリーポッター(2002年6月14日)

世の中で流行のハリーポッターの1冊目を読み始めている。 子供向けの本なのだが、挿絵の類はまったくない。 登場人物も比較的多く、物語の全貌を把握しながら読み進めていくのは、 子供には大変なことかもしれない。 いや、記憶力の落ちた30代よりは、 柔軟な十代の方が理解が深い? 真相はどっちだろう。

献血とサッカー(2002年6月15日)

「献血はワールドカップを見ながら」というキャンペーン期間中だったのか? 何気なく献血に行って、たまたま映っていたTVでW杯を眺めていたら、 神戸新聞の取材を受けてしまった。 そういう動機で献血にきた人がいたのだろうか。

仮にそういう人が多いのなら、献血キャンペーンのネタになるな。 要はアイデア勝負である。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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