明日の朝までうたっていたい♪(2004年1月25日〜1月31日)

たこあげ イタリア語の逐語訳 深き淵より 暗譜の功罪 仕事の能率について 貴乃花部屋誕生へ イタリアよりメール



たこあげ(2004年1月25日)

下の娘にねだられて、午後1時間ほど凧揚げに付き合った。 冷たい北風が吹き、凧揚げ日和だったが、やはり寒かった。 久しぶりに揚げた凧は、意外なほどうまくいった。 身体が揚げ方を覚えているらしい。

子供の頃に揚げた凧は、奴凧が多かった。 買って来た凧に新聞紙の足をつけて、水の干上がった田んぼで揚げるのだ。 よほどうまくやらないと、凧は揚がらない。 揚げるのにも、培った技術が必要だったと思う。

中学生になった頃だったか、ゲイラカイトというハンググライダーのような形状のアメリカ凧が流行った。 これは格別な風がなくても、揚げる技術がなくても、 お気楽にトコトン揚がる凧だった。 あまりに簡単に揚がるので、最初のうちは面白がってやっていたのだが、 だんだんと飽きていった気がする。 熟練の味というのがないと、面白くないものである。

昨今の凧は、プラスティックの骨にビニールというまさに現代的な凧である。 ある程度は簡単に揚がるように工夫もされている。 でも、技を習得しないとうまく揚がらない。 簡単さと熟練とが程よくミックスされたくらいのものに仕上がっている。 子供が熱中するのにもちょうどよいくらいだと思う。 一緒に行っていた上の娘が高く上げることができるようになった。 下の娘はそのレベルに達していない。 この「技術に差が出る」のが良いのだ。 身体はすっかり冷えてしまったが、凧揚げは面白かった。 また行こう。

イタリア語の逐語訳(2004年1月26日)

一年ほど前に翻訳にトライしていたZefiro tornaの逐語訳を、 はもーるのメーリングリストに流した。 平田先生が訳詩を流したメールへのフォローである。 最後の一文は平田先生も意味が良くわからないとのこと。

歌詩の翻訳の試みもながらく更新していないし、 せっかく逐語訳をしたのだから、そこに載せてもいいのだけれど、 今ひとつ納得ができていないからなあ。 もう少し研究してみなくては。 Koyoさんにメールして聞いてみようかな…。

深き淵より(2004年1月27日)

法政大学アカデミー合唱団のコンサートで、「深き淵より」を合同演奏する。 25年位前に作曲された曲である。 合唱を始めたばかりの当時、小難しそうな曲だと思っていたが、 はもーるでは簡単に形になってしまう事実。 私自身も経験を重ねて「簡単に」歌えるようになったというのもあるだろう。

あの頃はメロディの外形だけをなぞって、「美しい曲でそのうち歌いたい」くらいにしか思っていなかったのだが、 コンサートで取り上げるために練習していて、 メロディだけでなく詩の意味をも感じながら歌っていくことで、 さらにこの曲の素晴らしさが見えてきたように感じる。

「想い出になりきれない想い出」。 何を意味しているのか良くわからないというのが第一印象だった。 色々な出来事や体験は、時間のフィルタを経て「想い出」へと変化する。 良い印象はその上澄みが凝縮される。 苦しい・悲しい出来事は忘却の世界へ行き、その周りの体験が思い出されるようになる。 まだ苦しさの記憶が残っている「想い出になりきっていない」出来事、このことを言っている事に気づいた。

「青春時代」という歌も、よく考えればこれと同じことを言っているんだな。 青春からだいぶん時間が経ったこの歳になってこそ、 こういう歌のよさが強く感じられるようになっているんだ。 歳を重ねるということは、感性を重ねていくということかもしれない。 少し忘却のフィルタが強くなってきた今の感性で、 多くの「うた」を感じていきたい。 こう思う今日の私である。

暗譜の功罪(2004年1月28日)

ネタがないので、今日も法政とのコンサートの話を書こう。

練習量の多い学生さんとのジョイントということで、合同曲は原則暗譜ということになった。 週1回の練習で暗譜というのは、記憶力が衰えていているのも相まって、 苦しいのは確かである。 一方、言葉を生かしたテンポの揺らぎを含めた表現を考えると、 暗譜しているほうが断然良いことは間違いない。 個人的にも、暗譜のほうがより音楽を楽しめるので好きなことは確かである。

ここで「暗譜」と気楽に言葉を使っているが、 楽譜を見なくてとりあえずは歌えることだけを指しているのではない。 最低ラインはまさにそれであるが、本当はそれが暗譜ではないのだ。 表情記号やテンポを覚えているのはもちろんのこと、 他のパートの動きや自分のパートとの関連も含めて覚えている状態が暗譜なのである。 このレベルに達しようと思えば、半端な努力では苦しいに違いない。

「原則暗譜」の意味するレベルがどこになるかは、きっと低いところが照準なのだろう。 より音楽を楽しむために、上位レベルの暗譜にトライしたいなあと思う。 まずは楽譜のイメージを焼き付けることが重要であろう。 通勤電車で楽譜を眺めて、熟成させてみようか。

仕事の能率について(2004年1月29日)

定時近くになって、今日何の仕事をしたのかがわからないことが多い。 割り込み業務が多くて、これをやり遂げたぞというものが少ないからに違いない。 その日の計画を立てる前に、いくつもの割り込みが入ってくるんだものな。

定時後になって、今日の仕事が始められた。 こんなことでは能率が悪すぎる。 あ、こんなことかいていたら給料泥棒と言われそうだな(^_^;)。

貴乃花部屋誕生へ(2004年1月30日)

出張途中の新幹線のテロップに「貴乃花部屋誕生」のニュース。 歴史残る横綱・大関を輩出した二子山部屋を受け継ぎ、 貴乃花部屋として2月1日からの出発だそうである。 努力・根性が流行らない現代において、 おそらくは自分よりも素質の劣った弟子たちを、 強い力士に育て上げられられるか、 それが問われることになる。

貴ノ花の息子で若乃花の甥という立場であるからといって、 実力のみが評価される社会が大相撲である。 常に注目される環境にいたからには、努力をせざるを得なかったであろう。 力士としての素質もあって、数々の記録とともに最高位に立てたのだろう。

今度は指導者として、ますます注目されることは間違いない。 思うような成果が得られない状況にぶつかるだろうが、 素晴らしい力士を育てることに力を注いでもらいたい。 3代目貴乃花を育てることが、親方の使命である。

帰りの新幹線は、意外と空いている。 週末なのにね。 おかげでゆっくり座って帰宅できたのはよかった。

イタリアよりメール(2004年1月31日)

私のwebページを見たイタリアの方からメールを受け取った。 「些細な間違いだけど」という指摘であったが、とても興味深い内容だった。 Il giardino di Afrodite逐語訳に関することで、 "meli"は"melo"の複数形で"mela"が原型ではないとのこと。 どちらも「りんご」だが、前者は「木のりんご」で男性名詞であり、後者は「果物のりんご」で女性名詞だそうだ。 木と果物で男性女性がこのようになっている言葉がイタリア語では多いという。

さっそくお礼のメールを出し、ついでに今訳しているZefiro tornaに関する質問をしたら、 すぐに回答が返ってきた。 イタリア語を母語とする人に質問できるなんて、まことにラッキーなことだ。

はもーるは今日は強化練習で、5時間半にわたって法政大学とのジョイントの曲を練習する。 曲数が多いというのもあって、一つ一つはじっくりと練習できなかったのが残念であった。

練習後は、法政の学生さんを囲んでいつもの飲み会。 彼らはまともなものを食べていないということで、 しっかりご馳走してあげた。 1日一食じゃ身体を壊すよ。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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