つれづれ日記〜子午線通信〜(2001年11月11日〜17日)

播州合唱祭 またしてもニューヨークで航空機事故 アフガンでは首都陥落 夕食を取ればすぐにおねむ 英文査読 梅干の話 ふれあい音楽会

播州合唱祭(2001年11月11日)

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今日は合唱団La・Lu・Laのステージで姫路へ向かう。 昨年はトラで出演したのだが、今年は練習にも参加して、正式表明はしていないが入団したような形になっている。

今回の選曲はSisaskのBenedictioという現代曲で、テンポも速く変拍子ビシバシという難曲である。 音自体は難しくはないものの、アンサンブル感がでるには相当の練習が要りそうである曲だ。 それを数回の練習でステージに乗せようというのだから大変である。 おまけに各パートは二つに分かれたりして、一人一パートの世界。 久しぶりの「アンサンブル」状態。

ステージリハーサルではメロメロだったものの、 その後の練習で感じが出始め、本番はなかなかのできだったのではないだろうか。 崩壊寸前のところがなかったわけではないが(^_^;)。

次回のステージは12月の第1日曜日。 今度は相生である。

またしてもニューヨークで航空機事故(2001年11月12日)

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webの掲示板で、またニューヨークで航空機事故があったことを知る。 テロでなければよいが…。

アフガンでは首都陥落(2001年11月13日)

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アフガン戦争(制裁なのね一応)がはじまって1ヶ月。 首都のカブールが北部戦線の軍によって奪還されたそうである。 身近ではないところでの紛争であるので実感は何もないが、 はやく終結して欲しいというのは強く感じる。

何が正義かは別として、アフガンの一般民衆から言えば、平和な日常が戻ることを望んでいる人も多いだろう。 戦争ごっこをしたい人は、誰もいないところで勝手にドンパチやってくれればいいのだと書いたら無責任だろうか。

夕食を取ればすぐにおねむ(2001年11月14日)

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ここひと月ほど毎日遅くまで仕事をしている。 製品の出荷も何とか完了し久々に早く帰宅した。

早く帰った日にはあれをやってこれをやって…。 いろいろ考えていたのだが、実際に早く帰ってみると、 食事を済ますと、もう目を開けていられない。 急激に睡魔が襲ってくるのだった。

食事の後にすぐに寝ると…ともがいてみたものの耐えられず、 覚悟を決めて(そんなたいそうな)寝ることにした。 なんと21時過ぎ。 疲れが溜まっていたのか、朝までぐっすりだった。

英文査読(2001年11月15日)

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先日のTOEICの点が今までの最高記録で780点だった。 これも英語の通信教育の成果なのだろうか。 いやいや、時間に追われてまじめにやっていないから、たまたま点が良かっただけだ。 色々と感じながらも点が良かったことは嬉しいものだったりする。

そういううれしい話があったところに、それ生かすような仕事が降ってくるのだ。 別の見方をすれば、自尊心をくすぐっておいて安価に英文作成をしようという魂胆だ。

前置き(自慢(^_^;))が長くなったが、社内論文誌の英文の査読の話である。 もともとの日本語が悪いうえに技術が良くわかっていない業者が訳すものだから、 最初に査読に回ってきた原稿は悲惨なことが多い。 とりわけ、今回のabstractの英文はひどかった。 中学生が書いたようなたどたどしい英語で、これでお金を取る翻訳業者も大したものだ。 かなりの部分を書き直してやったのだが、これでは私が訳したのと同じではないか…。

次には本文の訳が回ってきたので、かなり覚悟して査読にかかったのだが、 今度はまともな出来であった。 どうやらabstractの出来が悪いと言うことを業者に伝えたらしく、 翻訳の担当者が変わったらしいのだ。 厳しい世界であるが、お金を取るというのはそういうことなのだろう。

査読のたびに思うのだが、自分で最初から訳そうとすると実力のなさに気づく。 TOEICが700点あったってまともに訳せないのだよ。 日常的に英文を書いていないと、英文の引き出しが空っぽになっているということだな。 今度はwritingの通信教育を受けようかな。

梅干の話(2001年11月16日)

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今月の初めに弟夫婦からもらった梅干が非常に美味で、 一箱が二週間弱でなくなってしまった。 ふるさと小包ではここ数年1位の人気を誇るというその梅干を注文すべく、 インターネットで検索して注文することにした。

なんとか探し出して、1キロ5000円の梅干を注文する。 届くのは来週の初めになるか。

今年のお歳暮はこの梅干で決まりかな。

ふれあい音楽会(2001年11月17日)

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太鼓のお稽古第一弾 から一週間。 今度は校内でのお披露目の日である。 風邪も何とか直ったようで体調は万全である。

出番が最初なので、例年ぎりぎりに出かけていたが、 今回は開場前からしっかり並んだのであった。 それでも、より早くから並んでいる保護者の方々がたくさんいる。 自分も同類と思いながらも大変なことだなあと思ってしまった。

昨年の音楽会の様子もたどってもらうとして、 今年の音楽会の感想を書こう。

プログラムの一番は3年生の合唱と合奏。 合同音楽会 の時の曲目に「拍手の花束」という拍手のみで構成された曲を間にはさんだステージは、 すでに一回演奏会で披露しただけあって、落ち着いた演奏だったと言えよう。 さて、1曲目の「BELIEVE」の合唱は、3年生レベルではこの程度なんでしょう。 他のパートにつられずによくぞ歌えました。 音楽のあふれた昨今、この程度は十分出来るだろうとも思いつつ、 2年生の時の歌を考えれば、すごい進歩だとも思うぞ。

「拍手の花束」はリズムの勝負。 からだが楽器というのは歌と同じ。 自在に操れるように身体が成長したということだろう。 それよりも何よりも、この3年間で拍手だけで構成した演奏は初めてだと思う。 非常にシンプルな「楽器」ですばらしい演奏が出来るというのがすごいと思う。 やっている本人たちも、拍手でこれほどのことが出来るというのを体感しているに違いない。

我が家の期待の一曲は太鼓の出番の「明日があるさ」だ。 太鼓のばちをしっかり持って、最初の一発を狙っている表情は真剣である。 先生の指揮を見ながらしっかりと出られたようで、 テンポ良く大太鼓の音が響いてきた。 普段はのんびりとしている娘も、今日はスターの表情である。 うまくいって誇らしく思っているだろう。

他の学年の演奏も聞いたが、先生の音楽の力量がそのまま児童の演奏に表れるのがわかる。 専門的なことをせよとは言わないが、子供らの音楽性を殺すような指揮をする先生は 反省してもらいたいものだ。 先生だからといって何でも出来ることを要求はしないが、 指揮をするのならばそれなりの練習はして欲しいなあ。 色々と雑用に追われているのかもしれないけれども。

最後の6年生のプログラムはさすがの出来であった。 娘のリクエストもあって、しっかりビデオに記録しておいた。 3年後はあんな演奏が出来るのかな。


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Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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