明日の朝までうたっていたい♪(2004年10月17日〜10月23日)

まさに秋 楽譜化大作戦 またまた台風 トカゲの襲来 ようやく連絡がついた ゴスペルの練習 実家の惨状



まさに秋(2004年10月17日)

風がひんやりとして空も高く、まさに秋である。 こんな日はどこかにお出かけをして…とLa・Lu・Laの練習日だったりする。

来月の播州合唱祭で歌う曲を中心に練習する。 月に一度の練習にもかかわらず、それ以外の新曲の譜読みをしてしまうあたり、 ココのメンバも只者ではない。 精鋭を選りすぐった合唱団でもなく、そういうレベルで活動ができているのは、 母体のレベルが高かったからなのだろうか。 それとも、たまたまなのだろうか。

いくつかの合唱団を見てきて感じるのは、 現在関わっている合唱団のメンバは、かなりレベルが高いような気がする。 というか、本当に好きな人々の集まりなのかもしれない。

楽譜化大作戦(2004年10月18日)

ついに来週に迫ったステージのために、 配布された音源をもとに楽譜化する。 細かいところは、楽譜として視覚化しないとどうも身体に入ってこないのだ。

おき楽に入力するには、NoteWorthyComposerが手っ取り早い。 今回はfinaleで清書するほどでもないからね。 1時間程度で楽譜は完成。 これで大丈夫だ。

またまた台風(2004年10月19日)

またしても台風のご来訪である。 これが上陸すれば10個目となる。 記録を更新(確か以前は7個)したら、一気に3つも増えるなんてイチローも真っ青である。 近畿に一番近づきそうなのが明日の午後となるから、 明日の仕事は半ドンに違いない。

ちなみに、今年これまで上陸した台風は以下の通り。 一番最初の4号以外は、ココにネタとして書いているなあ。 特に、16、18号ではひどい目にあったからな。 明日は帰宅命令が出たら、電車が止まらないうちにすぐに帰ろう。

番号上陸日地点中心気圧[hPa]
4号6月11日高知994
6号6月21日高知965
10号7月31日高知980
11号8月4日徳島996
15号8月20日青森980
16号8月30日鹿児島950
18号9月7日長崎945
21号9月29日鹿児島970
22号10月9日静岡950

トカゲの襲来(2004年10月20日)

高知県に上陸し、今年10個目の上陸となった台風23号は、アジア名がトカゲという。 日本では一般的でない名称も、世界気象機関で公式に定められているもので、 アジア各国では一般的に使われているという。 以前から番号で言うことが定着している日本では、ちょっと不思議な感覚がある。 気象庁のwebで 解説されているらしいので、興味のある方はリンクを辿ってくださいな。

昨日ここに書いたように、午前中で業務は中断して帰途につくことになる。 それなりに風雨は強いが、台風16号ほどではない。 あの時よりは雨が強く、びしょぬれになってしまった。

夕方になり、そろそろ峠も越えたかなと思っていたところに、 実家から電話があり、 すぐ玄関まで水が来ているという。 実家方面はかなりの水害が発生している模様だ。 比較的高い土地すらも水害にあいそうだということで、 伊勢湾台風以来の水害ということになる。 私の生まれる前だから、もう45年になるのだ。

夜になり、電話も通じない状況なのだが、 自宅の2階に待機しているらしいとの情報が入った。 家が壊れなきゃ、何とかなるだろう。 いずれにせよ、この週末に見に行かなければ。 思っていたより大変な台風であることよ。

ようやく連絡がついた(2004年10月21日)

いくら実家に電話してもつながらかったのだが、 夕方になって従兄弟から電話が入った。 ぬかるみの中を実家まで行ってくれたのだった。

電話連絡ができなかったというので覚悟はしていたが、 被害は予想以上に深刻だった。 床上約1mの浸水で、1階にあったものはほとんどがゴミと化したということだ。 今回の水害は、水の量もさることながら泥がたくさんあって、 道を普通に歩けない状態らしい。 週末に行くためにも装備が必要のようだ。

豊岡にいる弟にも連絡をとって、状況を見に行ってもらうことと 週末に必要な装備をリストアップすることをお願いする。 準備は明日、妻にお願いするしかないな。

ゴスペルの練習(2004年10月22日)

来週月曜日に行われる創立記念式典の出し物(?)ゴスペルの練習も今日がラストである。 台風の影響で2回目の練習日がシフトし、集まりが悪かったのが痛かったな。 指揮は、結局私がすることになる。 繰り返しだらけだから、パターンを覚えるのが大変かも。

2時間の練習で、音はとりあえずのレベルにはなった。 声自体はこれ以上やったとしても付け焼刃だから…。 まあ、楽しく歌うことができれば、十分「うまくできた」ということになるのだろうね。

実家の惨状(2004年10月23日)

お弁当(と言ってもおにぎりだけだが)を準備して8時に自宅を出発する。 普段なら2時間強で着ける所が、われわれと同じように救援(?)に行く車が多いのか、 1時間以上余分にかかってしまった。 途中で掃除のためのグッズ(散水ホースなど。今回はこれが大活躍だった)を買うのにも時間がかかったなあ。

いつも車を置いている駐車場の囲いは水で流されてしまっており、 現時点ではガレキ置き場となっている。 道には泥が堆積しているというのもあって、少し離れた場所にはなるが、農道上に置いていくことにした。 (他の人々もその辺に置いている) 長靴と雨合羽でしっかり装備して、自宅まで近づいていった。

電話の声は聴いていたが、実際に母親の顔を見て安心した。 一気に歳をとってしまったような気がする。 ここ数日安心して眠っていないのだろうから、 それもうなづける話である。

玄関側の家の中は板敷きになってしまっており、 家具なんて跡形もない。 奥の座敷は、畳ごと浮いていたらしく、畳の表面は濡れていないのが不思議だった。 普通に座っても大丈夫。 昨年、畳替えをしたときに、防湿処理をしていたのが幸いしたようである。

お昼時なので明石から作ってきたおにぎりと配給のインスタント味噌汁で食事。 大人数の食事というのはやっぱりいいよね。 たんなるおにぎりでもおいしいのだ。 こういう時こそ、人のぬくもりが求められるというのが実感できる。

午後は、とにかくゴミを捨てる作業に終始する。 濡れた畳は大人の男が二人ではとても支えられない。 左腕が今ひとつ力の入らない私ではなおさらである。 本箱、水屋、本などなど、1階にあったすべてのものは、 すっかりゴミとなってしまった。

ボランティアに来ていたH氏。 同級生との20年ぶりくらいの再会である。 こんなことでもないと再会できないなんて、ちょっと悲しい。

夜は、神鍋のゆとろぎに入浴。 たくさんの人で落ち着けなかった。 水道も出るようにはなっているし、自宅の風呂をきれいにして、 早く入れるようにしよう。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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